ベイコンとドゥルーズ

b0041761_2034812.jpg邦訳されたドゥルーズの絵画論「フランシス・ベイコン:感覚の論理」が出版されて数ヶ月がたつ。美術手帖でも書評が書かれ、にわかに話題になっている本書について、感想を述べてみたい。

フェリックス・ガタリとの共著という形での著作発表から、独自の哲学を再開する端緒となった、一般的にドゥルーズ後期とよばれる時代の幕開けは81年出版の本書だった。80年代は基本的にイマージュ論が中心であり、本書の後に全二巻の『シネマ』、北方バロックとライプニッツの哲学を接続した『襞』という具合に展開されていく。ただドゥルーズ哲学を一望すると、この頃の著作は今まで論じてきた彼の論理をイマージュから実践する場となっており、そういった意味で具体的作品が論じられるところに彼の哲学の真価を問うという性格を帯びていたように感じられる。

このように見たときに、本書は美術書であると同時に、ドゥルーズの関心に基づいたベイコン論といえるだろう。それゆえ本書の作品分析を詳細に見ていく限りでは、必ずしもベイコンの絵画原理を完全に捉え切れていたとは言いがたい。この点がよくドゥルーズが批判される点なのかもしれない。作品を形式論的に読解し、外部性を垣間見させることなく強固な体系を作り上げることに長けていたドゥルーズは、実はシステマティックに作り上げられていたベイコン作品の側面、特に60年代以降の諸要素を論じている。

b0041761_20212663.jpgだがその外部性を示唆することなく論じきるところに、ドゥルーズの卓越さを感じさせるのである。ドゥルーズが本書を書いた81年の段階で、ベイコンのフォーマルな分析はジョン・ラッセルの研究以外ほとんど見当たらなかっただろう。その頃のベイコン研究はバイオグラフィカルな言説に満ち溢れていたし、議論の中心はいまだ暗い色面の50年代に占められていた。そんな状況の中、本書のような分析が行われたというのは驚くべきことだ。うわさでは、ドゥルーズはベイコンの絵画を数点持っていたという。だとしたら、この分析は日々目にしてきた絵画体験に基づいて引き出されたものだったのではないだろうか。
 



本書において重要だと思われるのは、19世紀末以降形成されてきた芸術学を捉えなおすという意味での、触覚概念が導入されていること、そしてトリプティックの分析における「証人の機能」という言及だろう。この二点がドゥルーズ研究だけではなくベイコンの絵画特有の問題を浮かび上がらせている。今回は絵画固有の問題である触視性について見ていきたい。

b0041761_2021374.jpg本書が邦訳で出版される以前によく訳されていた第6章「絵画と感覚」は、後半部分で論じられる「haptique(触視的)」というタームを経て初めてセザンヌとの接続を理解できる。この用語を最初に用いたのはリーグルだったが、その場合の触視性は線の効果によるところだった。しかしドゥルーズはこれを色の問題に置き換え、「光学的(optique)―触視的(haptique)」という二つに分類した。つまり、光のスペクトルがもたらすような白と黒による明暗のコントラストと、生理学的な暖色・寒色がもたらす膨張・収縮の効果の対置である。セザンヌ、ベイコンはこうした有彩色がもたらす起伏で表現しているのだ。二人の相違点は多々あるものの、このつながりは色彩という点で明らかとなるのである。(画像はそれぞれ<ミシェル・レリスの肖像>76年作、78年作。)
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by jaro050 | 2004-11-19 19:59 | 美術寸評
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