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あなたのなかの《ワタシ》

完璧な関係?

そんなものあったためしがない



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恋愛に至るとき、まず始めることはきまっている。
相手が抱いている《ワタシ》像を探すことだ。

相手が私をどんなイメージで捉えているか、
まずそれを知らなければ、告白なんてできっこない。

でも、相手の中の《ワタシ》像なんて厳密には分からない。
だから人は悩む。憶測に振り回されて眠れぬ夜を過ごす。



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ジャック・ラカンという人は、人の心の中にあるというこの掴みえぬ《ワタシ》像を、「対象a」と言い表した。

「対象a」は、他人の中にあって、私にとっては非人間的で(だって私の意志ではどうにもならない「知らないわたし」だから)、鏡に映りそうで映らず、しかも確実に私の一部である、そんな不気味な「なにものか」。

ラカンはこの「対象a」を導き出すために、総体としての人々(つまり社会)と私との関係を考える。思索の結果、奇妙なことに社会の中にある「一般的な」《わたし》像、そして私と他者との関係は、それぞれ「黄金比」なんだそうだ。

数値にして0.618…。いわゆる「無理数」。実数としては存在するが、「割り切れない」ところがミソだ。これを恋愛に置き換えると、なんだか意味深な事柄になる。彼・彼女が抱いている《わたし》像、つまり「対象a」は、存在するけど、結局のところ「割り切れない」。

こんなことを明らかにしたところで、なんになるというのだろう?
「割り切れない」からこそ、悩んでいるんじゃないか。
そんなこと初めからわかっていることだよ。




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それでも、確認できたことがある。一つは、それが何か具体的なものではなく、「比率」だということ。恋愛におけるお互いの関係は、微妙な比率で成り立っている。そのバランスを崩せば、黄金比にはならない。深入りしても、疎遠になってもだめだ。

そしてもうひとつ、この「対象a」を感知することで、私は非人間的な、他者としての私を発見する。その《わたし》を手に入れて、私の中に他者を取り込む。恋愛が人を成長させるのは、そういう理由だからかもしれない。
by jaro050 | 2005-06-06 03:39 | 雑記
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