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ベンヤミン敷居をまたぐ。

『パサージュ論』とか『複製技術時代の芸術作品』とかでちょっと前に流行ったヴァルター・ベンヤミン。英語読みするとワルター・ベンジャミン。かなり精度の高い文章を書くことで有名で、批評家とはさもあらん、と巷ではささやかれております。

さて、今日はこの難解なベンヤミン哲学を「敷居学」として提起した、メニングハウスの本を読みました。つまるところ、ベンヤミンが重視したのは対立する二つの概念のどちらかではなく、この二つを分ける境界だ、というわけです。具体的な事物で言えば、屋敷の門をまたぐ行為とか、凱旋門をくぐる行為とか、そういった敷居そのもの。だから「パサージュ」もまた通過儀礼のように通り抜けることで、都市の記憶が蘇ってくる、そんな経験をもとにしているということです。

確かに敷居って奇妙な存在だと思う。敷居って部屋と廊下どちらに属するんだろう。どちらにも属するし、どちらにも属さない、ともいえる。いわば第三領域。次元の狭間。アビス。中間休止。

唐突で恐縮ですが、ドラえもんの道具ってこの敷居をまたぐ通過儀礼っぽいものが多い気がします。特に「ガリバートンネル」は「パサージュ」っぽい。あれトンネルだから中がどうなってるか分からないけど、何か恐ろしいコトが色々起こっているんじゃないかと、子供の頃やたらと気になった。もしかしたら体がそっくり交換されているんじゃないか、とか、催眠術っぽい原理でまわりが小さく「見える」とか。

ほかにも「どこでもドア」とか「取り寄せカバン」とか「タイムマシン」で移動するときに通る四次元とか。ドラえもんの道具を通過儀礼として使用することで未知の力を手に入れる、と考えればドラえもんの道具は神話的祭具の現代版なのかもしれない。巫女が祭具を使用して神と交信し、宣託を受けるかのような。やけに丸い巫女だけど。

でも芸術分野でこうした「中間領域」が重要視されることが多いのはなぜだろうね。何かにつけて狭間とか第三項とか基底材とかパレルゴンとかさ。そんな隙間に住むのが好きな隙間人(確かこんな漫画あったな)が芸術とかやってるんだろうね。
by jaro050 | 2005-07-18 23:55 | 雑記
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