マシューズ・ベスト・ストレイン・ドローイング(1)

マシュー・バーニーは90年代におけるもっとも重要なアーティストの一人として、各メディアで頻繁に取り上げられた。特に日本では美術関係だけでなく様々なジャンルで(映画を中心とした雑誌類が主だが)バーニーの名が挙がる。確かにバーニーの作品はイメージの衝撃度、ハイ・クオリティ、センスともにマスメディアに適した要素を十分に持っている。加えて彼の多彩な経歴(医学部卒、フットボール特待生、ファッションモデル等)もメディアに都合のよい側面だ。いかがわしくも難解な現代美術の領域から、領域横断的なスターが、「20世紀最後の」スターが誕生した、と。

b0041761_234327.jpgとはいえ半ば採り上げられすぎた感もある。いくらマルチタレントぶりを発揮しているからといって、日本のバーニーへの関心は他国に比べて大変強い。では今一度問うてみよう。マシュー・バーニーは華々しくも深淵な映像を作り出すが、それは一体なんだったのか?この問いに多くのライターは次のように答える。「失われた身体の回復」「ハイブリディティ」「アスリート・アート」「新たなる物語神話」…。バーニーの20年間の活動において、ようやく論客も議論の矛先をいくつかのタームに限定することができるようになってきたといった様相だ。ところでこうしたタームは、「アスリート・アート」を除いてどれもが「シュルレアリスム的」である。美術の領域において身体の変容や異様さを採り上げたものを想起するならば、まず最初に挙がるのがこの運動。表現主義に次いで日本人が大好きな分野である。断言しても良いが、日本人にとって、マシュー・バーニーはいわば「ヌーボー(新)・シュルレアリスム」として受容されたのである。それは論客の多くに精神分析医が関わっていることもこれを裏付けている。
(つづく)
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by jaro050 | 2005-08-26 02:26 | 美術寸評
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