アジアのキュビスム展

会場を後に第一声、タイトルの強制力のすごさを実感した展覧会だった。

この展覧会に赴いた人の誰もが抱くように、「アジアにキュビスムなんてあるのか」という疑問は御多分にもれずあった。昨年2月に開かれた非公開国際シンポジウムに参加したこともあって、「アジアのキュビスム」展出展作品は開催以前からいくつか見ていたし、その経験から「展覧会ではキュビスムのことは一切抜きで作品を見よう」と心に決めていた。にも拘らず、不思議と各作品にキュビスムの跡をたどっている自分に何度も遭遇することになってしまった。おそらくキュビスムの痕跡は少なからずあるにせよ、それを除いても作品個々で固有の面白さを持っているはずなのだが、一度こびりついたイメージは拭いがたく、その執拗につきまとう様はイメージ・コロニアリズム(植民地主義)を思わせた。ヨーゼフ・ボイス、ドナルド・ジャッドしかり、作家の多くがスクール(流派)に属したがらないという意味を改めて実感した、といったところか。





上記の体験はむしろ展示構成に原因があるかもしれない。導線の始点からまずピカソとブラックの「本物の」キュビスムを見せた後に、それを検証材料とするかのように本編たるアジアの作品が始まる。特に第一セクションで比較的「正統キュビスム」に近い作品、つまり美術史的に整理されたキュビスム原理にかなった作品が集められているのだから、否応にもピカソやブラックと比較してしまうわけだ。この時点で「アジアのキュビスム」は意識の中に決定的な位置を占めてしまっている。個人的には音楽でいう「初見」をしてみたかっただけに、展覧会を成功させようと意気込む企画者の術中にはまってしまう自分が、いかにも歯がゆかった。企画者の数人と面識があればなおさらそう思う。

会場に据えられたソファに、たいてい置いてある参考用の展覧会カタログ。ふと手にとってパラパラと眼を通してみるも、案の定自己防衛的な意図が随所に感じられるのだけれど、もうここまでくれば根負け、むしろ彼らの戦略にあえて乗せられてみようかと、最終的にはその文脈で見ることにした。抵抗の力がなくなったせいか、より多様性に満ちた作品が増えたせいかは知らないが、硬く結び付けられた「もやい」を解くように、キュビスムの残滓は次第に少なくなっていったように思う。そこで改めて感じたのは、キュビスム受容に必要な条件を、そもそもアジアはもっていなかった、という仮説である。具体的に言えば、西洋的な空間認識がないのだ。維新前後の日本と同様、アジア諸国は三次元的な一点透視法による空間把握を持っていなかったと思われる。そんな中でキュビスムは西洋芸術の初期の流入の際に、ほぼ同時に入って来たようである。混乱するのもわけはない。西洋的空間の形成と破壊が一緒にやってくるのだから。

確かにクリシェに陥っている作品も多く見られる。とはいえいくつかの作品は、どこか判別しがたい構成と色彩の魅力が感じられた。これだけたくさんの国と地域の作品を見れば、面白い作品がないわけがない。キム・スやF.N.スーザ、そしてマナンサラの絵画などは、もう少し他の作品を見てみたいと思わせる作品だった。

さて結語として、結局「アジアのキュビスム」はあったのか、はたまた無かったのかと問う。凡庸な回答だが、「あった」し「なかった」といえる。それはひとまず置くとしても、「アジアのキュビスム」に引きずられて戦後のアジアを曲がりなりにも見渡すことができたのは、タイトルの魔力ゆえでもあったのは事実である。
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by jaro050 | 2005-08-26 05:26 | 展覧会報
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