港千尋展

新宿、Photographers'Galleryで、港千尋さんの展覧会が開かれている。タイトルは「Augustine Bataille explosion#1:Entoptic and Ecstasy」。「オーギュスティーヌ、バタイユ爆発」その一:内在光学とエクスタシー(恍惚) ・・・?

b0041761_3351718.jpgタイトルはひとまず置くとして、今回の展覧会の概要を少し描写してみたい。フランスに今もあるサルペトリエール総合病院、ここは19世紀には4千人の精神病患者が収容されていた。その患者の一人であるオーギュスティーヌ嬢を撮った写真を中心とした、いわゆる狂気に陥った人たちの写真群と、港さんが今も撮りつづけているフランスの洞窟壁画の写真がギャラリーの二つの部屋に別々に展示されている。至ってシンプルな展示方法だろう。問題はなぜこの二種類の写真群が今回の展示で結び付けられたのか、ということだ。ここが港さんのうまいところである。





まず写真を見ることから始めた方がいい。といってもばしばし画像を載せるわけにもいかないので、文章でご勘弁を。港さんは10年前からフランス各地の洞窟を訪れていて、そこでたくさんの写真を撮っている。だが今回の展覧会で出品されている写真には、奇怪な形をした鍾乳石の写真群にまぎれて、およそ7000年前に描かれたと推定される壁画が写っている。時代区分にして旧石器時代。それは主に動物の絵で、イノシシやシカ、牛などだ。他にもここを訪れた人たちの手形が壁に焼きついている。この手形はどうやら顔料を口に含み、壁に手を押し付けた後にエアブラシの要領で吹きかけたもののようだ。というのも、指の股の部分が鮮明に浮き出ているのだ。これは何か道具で描いたのでは表現できない。手形を残す、というのも何か意味ありげだ。さらに奇妙なのは、動物の絵と同じ壁面に別の絵が重ねて描かれていること。年代はさらに6~7千年遡ることになる。つまり、一万数千年前にここを訪れた人たちがまず絵を描き、それから数千年後になぜかその絵の上に、「わざわざ」絵を描いたことになる。これは一体どういうことだろう?

洞窟は子宮である。そう岡部あおみさんは言った。そしてこのギャラリーの対称にならぶ二つのスペースも、おなじく子宮的だとも。港さんは確かこんなふうに応えた。「洞窟は子宮である。たしかにそのとおりです。だけどそれは隠喩などではなく、子宮そのものなんです」。未開の人たちは洞窟を本当に子宮として考えていたらしい。アフリカのある洞窟では、入り口の縁に朱で塗り込めた跡があるという。それは膣口の朱なのだ。人々は生を逆行するようにそこに入り、高さ30センチという極めて狭い鍾乳洞の襞の隙間を抜けて、数千年前に描かれた動物たちのもとへ向かうのだ。

内在光学、とは暗闇の中に長時間居続けると、身体内部からなにやら光のようなものが現れだし、外部を照らす現象を言う。嘘か真か、そんな光を手がかりに洞窟と精神病患者をつなぎ合わせたのだという。サルペトリエールでは「患者たち」が念写に挑戦している。念写とはカメラを額に押し付けてシャッターを押すことで普段では写りえないものを撮影する、いわば心霊写真の一種と目されているものである。これぞまさに内在光学、というわけだ。そして展示には、以上の内在光を感じ取っていた分裂病(現在では統合失調症というらしい)者、シュレーバーの回想録からの引用がならぶ。その文面は不覚にも忘れてしまったが、持ち帰ったプリントから精神科医ジャン・マルタン・シャルコーの文章を引用しておこう。


 いまはただ、明らかに眼性偏頭痛と思われる通常の発作では、視野に光り輝く形象が現れるというだけを指摘しておきましょう。この形象ははじめ円形で、つづいて半円形になり、ジグザグの、あるいは城壁のデッサンのような形になって、敏速に振動する動きに呼応し、あるときは燐光性の白色の、またあるときは多少ともきわだった黄、赤、青の色調を呈する映像です。これが閃輝暗点と呼ばれるものです。


さて、港さんの写真展では、写真そのものに関する問題は、実はそれほど多くはない。企画に写真が食われているのか、それでもなお問題はブーメランのように写真に還ってくるのか。これは観者(鑑賞者)にゆだねられているといえるだろう。

--------------------------

Photographers'Galleryにて10月8日から27日まで開催。
(日程を書いていて気がついた。今日までですねぇ。もう少し早く書くんでした。)



Photographers' Gallery HP
[PR]
by jaro050 | 2005-10-27 03:35 | 展覧会報
<< 東京トランスファー01 クレーの墓石に刻まれた言葉 >>