東京トランスファー02

困ったこと、その2。
杉本博司にやられてしまったこと。
久しぶりに「感動」させられてしまった。
今日の予定では最後に訪れた展覧会だったが、
ポルケよりこちらが数倍楽しめた。

この「感動」が一つ目の「困ったこと」に繋がっている。
ほぼ「カタログ・レゾネ」に近い展覧会カタログ(367頁、6000円!!)を買ってしまったのだ。なんたるトンマ。ポルケなど買わずともよかったのだ。
ああ来月のカード支払いが怖くて見られない…。

b0041761_2226378.jpg





この展覧会カタログ、日本ではあまり見られないほどの力の入れよう。その理由は分からないではない。杉本博司の大規模な回顧展だし、アメリカ、ハーシュホーン庭園美術館に巡回すること、そして出版がドイツのハッチェ・カンツ(Hatje Cantz)というから納得。ハッチェ・カンツは元々二つの美術出版社が合併してできた、ドイツの美術関係では大手出版社の一つ。今ヨーロッパで注目の出版社だ。特にここのところ大判の出版物をバシバシ出している。これも買う一因になってしまった。でもよくよく考えてみたらこの質で6000円はむしろ安いかなぁ。でもペーパーバックだしな。海外ならハードカバーになってそうだ。とはいえ、やはり実際のシルバープリントに比べれば見劣りがする。アブストラクト・フォトならなおさらだ。あの対象がなくなるまでピントをはずした写真は、シルバープリント以外で見るべきではない。

b0041761_22272382.jpgさて実際の展示を見てみると、まず数学的形態シリーズが印象的だった。数学の計算式でできる曲線が実際に「眼に見えるように」なるとどうなるだろう、というのが発端のようだ。だが引っかかるのは、それが一度木材を削りだした彫刻として作られ、その後わざわざ写真に撮るという形式をとっていることだ。なぜ彫刻ではいけなかったんだろう。思い出されるのは「どんな虚像も、写真に撮れば実像になる」という杉本の言葉だ。もしかしたら、写真に撮ることでより実「像」の度合いを高めるという発想なのかもしれない。あくまで像はイメージとして立ち上がる。人の頭にうかんだ螺旋曲線は、木という自然物で提示するとたちまちオブジェになってしまうからだ。だから人の手跡がつきにくい金属は彫刻で提示したということなのかもしれない。だが《オンデュロイド:平均曲率が0でない定数となる回転面》はまさにブランクーシの《無限柱》に酷似していたのは偶然の一致なのだろうか?多分そんなことはないだろう。杉本はそれも加味して、この発注彫刻を「偶然に」作ったのに違いない。「芸術は芸術的野心のないものにも宿るのだ」。

最も印象的だったのは、「仏の海」シリーズ。蓮華法院三十三間堂の千体すべての仏像を自然光で撮影したものだが、これらの写真を映写機で高速回転させると、すべて顔の違う千体の仏像たちがまるで動き出したかのように震えだす。その様は圧倒的で、爽快にすら感じる。たぶん杉本と僕の趣味が合うのだろう。三十三間堂を扱うのもそうだが、他では能をテーマにしたものもあり、共感する部分が多かった。能は厳粛にして形式主義的だ。だが形式は洗練された内容に支えられてこそ生きるのだ。

杉本は写真家であり、そのコンセプトはミニマリズムに近く、また彫刻に関連してもいる。その意味で、この要素を写真で提示しえたのはもしかしたら杉本くらいだったのかもしれない。他に似たようなことを行ったアーティストは、寡聞にも聞いたことがない。杉本博司、今後の動向が気になる作家だ。
[PR]
by jaro050 | 2005-10-30 05:02 | 展覧会報
<< 爆音ゴダール 東京トランスファー01 >>