パリは燃えているか

収まる気配もなく、パリはまだ燃えている。

フランス政府は8日、非常事態法に基づき県知事に夜間外出禁止の発令権限を与える政令を出した。この政令は1955年にアルジェリア戦争時に制定された法律で、61年にクーデターを未然に防ぐため適用されて以来実に44年ぶりとなる。68年のパリ5月革命のときでさえ発令されなかったこの政令が、今になって蘇った。

なんだかフランスの抱えていた矛盾が一気に噴出したみたいだ。移民問題、報道倫理、ナショナリズム、失業問題、経済不況…。今はまだ聞かないが、国民戦線のジャン=マリ・ルペンはまだしゃしゃり出てこないんだろうか。「犯人は分かっている!」お決まりの文句が跳んできそうだ。

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フランスの移民問題は共和国が成立して以来の根深い懸案だ。移民の数は99年当時で7.8%だったが、帰化した者や二世、三世は既にフランス国籍を取得しているために、実際の移民の総体は分からない。これはフランス革命以後その成果として、「出生地主義」の政策をとってきた共和国政府ならではの現象だろう。それまで迫害されてきた他民族を一まとまりの「フランス人」として受け入れるという、まさに革命精神の真髄があるからだ。これによってアラブ系移民も居住区に押し込められていたユダヤ人も、皆フランス人として分け隔てなく暮らしていけるようになった。…というのは約半世紀ばかりで、すでに第二帝政期には反ユダヤ主義の機運が起こり始め、第三共和制の頃に移民排除の動きが出始めていた。

とはいえその矛先は、特に19世紀はまだユダヤ人くらいのものだった。産業革命著しいこの時代は、労働者確保のため人員を必要としており、またセーヌ県知事ジョルジュ=ユージェーヌ・オスマンが主導したパリ大改造に伴い、労働者としての移民はむしろ歓迎されていたのだ。

一方ユダヤ人迫害の頂点は世紀末に起こる。ドレフュス事件に端を発し、エデュアール・ドリュモンが反ユダヤ主義の新聞メディアを使ってユダヤ人の悪行をこき下ろした。この一連の騒動は約10年間続き、左右両翼の対立はむしろ鮮明化したといえるだろう。

移民排斥の問題は今二つの点から非難されている。ひとつは労働者人口の増大と不況の影響、つまり数の問題。移民排斥論者は移民はフランス人の職をうばっていると主張する。そして第二には人種・宗教・民族の問題がある。これは昨年9月に施行されたイスラム教徒の女性が着用するスカーフを禁じる法律にもあるように、イスラム教徒から多数の反発が起こっている。加えてロンドン多発テロの影響でイスラム教が警戒の的となっており、イスラムを多く信仰しているアラブ系移民が被害をこうむっている現状だ。

僕自身はフランス政治のことをよく聞いていた頃から既に3年が過ぎているので、今どうなっているのか定かではないのだが、97年に成立したドゥブレ法への反発が当時よく議論されていた。ドゥブレ法は93年の移民規制法(パスクワ法)の改善策として制定された法律で、以前より不法滞在者の枠を狭めるかわりに、不法滞在と見做された者にはより厳しい処罰を与えるという、アメとムチなんて言い回しでは甘っちょろすぎるほどの法律だった。自動更新が慣例だった滞在許可証を「公序良俗に反す」を理由に突如更新拒否をしたり、ビザが必要な外国人を宿泊させた者は市役所に行って宿泊証明書を発行したりしなければいけないなど、その横暴ぶりは多岐にわたる。フランス政府の移民に対する警戒感の強さが伝わってくる内容だ。当然これに移民たちは激怒したわけである。このとき暴動が起こらなかったのが不思議なくらいだ。

今回の暴動で象徴的なのは、マチュー・カソヴィッツの『憎しみ』(1996)だろう。この映画も移民問題を扱っており、少年への暴行に端を発して暴動が勃発するという、今回の事件の台本のような作品なのだ。確認のためにもう一度見ておこうと思う。

小学生の頃ロサンゼルスに行って、リトルトーキョーなんかを見て回ったことがある。その後帰国したのだが、日本到着の二日後、ロスでは黒人に対する暴行事件が起こっていた。これに端を発したのが、ロス暴動である。ついこの間まで見ていたはずのショーウィンドゥが無残にも割られ、拳銃の音が鳴り響く様をTVで見ながら、本当に自分は数日前あそこにいたのだろうかと疑ってしまった。観光と移民は全く違う。同じく宿泊と居住も性質が異なる。住むということ、その難しさを今あらためて感じる。一方暴動の爆発力は幼い頃に見た光景と酷似していた。パリは燃えているか。これも映画のタイトルだが、燃え尽きた先に何があるのか、今は静視してみていくことにしたい。
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by jaro050 | 2005-11-09 02:08 | 時事
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