色彩の詩的言語

b0041761_2321643.jpg多木浩二のバーネット・ニューマン論『神話なき世界の芸術家』を読みました。この本で一貫しているのは、彼がユダヤ人であるという理由からカバラ思想と結びつける論や(彼がつけるタイトルはしばしばユダヤやキリスト教の用語が用いられる)、リオタールが議論していた垂直線の「ZIP」によるサブライム(崇高)論をある程度退け、ニューマンが時代精神(ツァイトガイスト)に導かれながら、悲劇的世界をいかに絵画に固有な強度で超えるのかという課題を、最終的には「詩的言語」という創造性の領域で解釈していることです。それ故立場的にグリーンバーグやローゼンバーグを支持しながらもそれを補足するような観がありました。

b0041761_2328176.jpg確かにニューマンの絵画には分析するだけの要素が少なく、多くの人はそのタイトルから推測するしかなかったとは思いますが、宗教的要素やサブライムを強調することはすでに絵画を論じることから離れてしまっていて、それ以上ニューマンを論じる必要がなくなってしまう印象は受けます。そのような議論が導くのは、アーサー・C・ダントの「誰かが描いた赤く塗られたキャンバスとどこが違うのか」という意見(おそらくこの意見は川村記念美術館にある《アンナの光》を想定していると思われます)にあるように、すでに問題は哲学に引き継がれたとする「芸術の終焉」に向かってしまうように思います。

多木氏の論には概ね賛成なのですが、後半部分で論じられる、色彩がもたらす強度の分析が比較的弱かったように感じます。この点をさらに深化していれば、よりニューマンの実験の意義が明確になったのではないかと思いました。
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by jaro050 | 2004-10-18 23:30 | 美術寸評
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