都現美のピカソ展

b0041761_5444442.jpg展覧会の無料チケットをもらったこともあって、都営新宿線の菊川駅から歩いて10分少々、結構長い道のりを経て東京都現代美術館へ向かいました。今回のピカソ展は1920年代半ばから30年代後半にかけて、シュルレアリスムと関わりあう時代を特集していますが、なかなか楽しめる内容でした。





今回の展覧会をざっと見た感じでは、シュルレアリスムと関係して作風が一変するとはいえ、シュルレアリスムの理念に沿った形での変化というわけではないことが良く分かります。つまり、無意識や夢を現実世界へもたらして倫理的変革を起こそうとするブルトンらの意図とは違って、ピカソは現実の深淵へと入り込んでいく様が見て取れました。幾何学的形態に還元された人物像は、b0041761_5462574.jpgこの頃盛んになる人類学的興味に引きずられるようにしてプリミティヴな様相を呈していきますが、微妙なバランスで組み上げられた巨石群のような姿をしているにもかかわらず、人物としての存在感が手にとるように伝わってきます。これはロートレアモンの有名なフレーズ、「ミシンとコウモリ傘との、解剖台のうえでの偶然の出会い」のように、シュルレアリスムが称揚した偶然性とは別の方向にむかっているようです。

また、この頃のピカソは彫刻への関心が顕著になっています。30年代のデッサンを見ると、円で描かれた形態に陰影がつけられ、実際に石膏やブロンズで制作することを想定しているかのような筆致になっています。この二つの形態を見比べてみると、線描によって自由に変形(メタモルフォーズ)された人体が、変容の中から具体的形態をなしてb0041761_546911.jpg定着していく過程を想像することができます。この際にデッサンは丸みを帯びたマッス(量塊)を獲得していますが、この円形の筆致は1927年に出会う愛人マリー=テレーズ・ワルテルの影響ではないでしょうか。このデッサンが描かれたのが33年、ピカソが17世紀の古城をアトリエに改造してマリー=テレーズと暮らした5年間にあたる年で、円形で組まれた人物像が増えていきます。興味深いのは、この頃のデッサンは日にちまで特定されていて、《二人の人物》は4月12日に描かれたとなっています。日々の変遷をデッサンで追ってみるのも、面白いかもしれません。

b0041761_5463860.jpgこの展覧会が特集している10数年間には、タイトルが示す通りエロスが全域にわたって展開されているのは間違いないようです。登場するのはほぼ女性の裸体、男性が現れてもミノタウロスのように半獣半人としてです。美術史、特に近代美術を振り返れば、性はつねに何らかの形で天才と繋がっているようにも感じられます。それが同性愛に向かおうと、その関心の矛先は変わりません。ピカソは性を描いた天才の最たる人物です。とりわけこの20年代半ば以降は、愛人との蜜月を過ごす時期ということもあり、彼の芸術に最も性があふれています。

たとえば31年の《女の頭部》には、昆虫のような複眼と奇妙に隆起した鼻が特徴的ですが、よく見てみれば、あまりのあからさまな表現にたじろいでしまうほどです。まず眼と鼻は男性器にみえますし、その関連で見ていくと、裏側の髪の形態は女性器を示しています(写真では見えませんが)。しかも女性の頬の隆起がでん部(尻)として機能しているようにも見えて、女性の頭部が次第に性交の場面を表現しているとまで言えてしまいます。

このように、多くの絵画、彫刻、デッサンには性交の場面が登場しますが、これに必然的に絡み付いているのが「死」ではないでしょうか。性交は暴力との緊張関係によって成り立っており、過剰な暴力は死へと向かっていきます。ピカソは、この死と隣り合わせの緊張状態を絵画に定着させているのかもしれません。そう考えると、本展の表紙になっている《コリーダ:闘牛士の死》もまた、エロスの一変種として提示されているかのように思われるのです。
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by jaro050 | 2004-10-25 07:20 | 展覧会報
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