視覚の装置

ドナルド・ジャッドの作品は鉄の箱でできている。普通この立方体を見る限りでは、いったい何が起こっているのか見当もつかない。その様相を記述してみるだけでも混乱振りが明らかとなる。壁に等間隔に配置され、ぴかぴかに磨かれた中空状態の鉄の箱・・・。何かを象徴しているようにも見えないし、作家の手跡のようなものも見当たらない。ジャッドはプランだけを作って実際の製作は職人に作らせるという、いわゆる「発注芸術」を実践したということだから、象徴も作家性もあるはずがないのも当然だ。
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じゃあいったい何がしたかったのか?ジャッドの作る立体作品は彼自身「スペシフィック・オブジェクツ」と呼び、絵画でも彫刻でもない特殊な物体として提示されている。結論を先取りするならば、空間、色、奥行きというまさしく絵画の原理の為の実験なのだ。ジャッドは「スペシフィック・オブジェクツ」という論文で以下のように言っていた。「新しい作品(ジャッドの作品)は絵画に似ているというよりもずっと彫刻に似ているが、しかしそれはより絵画に近いのである」。ではどのように絵画に近いのだろうか。



要はこの箱をどこから見るかという体験に基づく問題のことを言っているのだろう。手始めに掲載した《untitled》という作品を例に話を進めてみよう(これは10個の鉄の箱が縦に並んでいる形式の作品。ジャッドはこれを「スタック(積み重ね)」と呼ぶ)。まず常設展示の部屋の壁に設置されている作品に近づいてみる。このとき作品は斜めから眺められるので、立方体としての三次元の物体であることは明確だ。この認識に揺らぎはない。ところが正面から見てみると、作品が正確に正方形の形をしているがゆえに、中ほどの数個の箱は側面部分が見えなくなる。このとき観客は奥行きの無くなった数個の箱を、背景である白い壁と同一平面状の存在として地続きに見ることになる。

この状態をキャンバスと掛けられる展示スペースという風に考えてみると、そこに絵画が生じるのだ。この作品は中が空洞になっている為に、壁と地続きとなった一平面に穴が開いている状態になる。実際は前へ飛び出しているのだが、どの位置でどのように見るか、ということで私たちはその物体を三次元の物とも、平面である絵画とも捉えることができる。

ジャッドで重要だと思われるのは、認識を転換するには視覚の効果だけでは足りず、身体運動を伴うことで起こる、ということだ。それは写真や絵画という平面のみでは困難な作業なのだ。たとえこのスタックの作品をさまざまな角度から写真で写したとしてもその効果は薄いだろう。つまり、印画紙に焼き付けられる行為は光と影の二つのプランに収斂してしまうだけで、ある位置から見たときに突如として立体から平面に置き換わる衝撃はやわらげられてしまう。

この衝撃を卑近な例で示せば、空気の澄んだ山岳で遠くに見える鮮やかな山脈を眺め、「まるで絵に描いたような風景だ」と誰かが漏らしたとき、風景はジャッドのスタックに近づいている。距離はお互いに離れているにもかかわらず、空と山脈、そして足元の砂利道は同一平面にあるかのような錯視状態をもたらす。三次元である風景は、このとき絵画になっているのである。

人間の認識には限界がある。ある一点に焦点を当てるとき、私たちはその周辺にある要素をある程度排除して知覚する。写真のように、情景全てを鮮明に映し出すことはできないのだ。それゆえに私たちは必要な要素だけを抜き出して(抽象して)認識にいたる。だからこそ、ジャッドのスタックを正面から見るとき、目線と同じ高さの箱を平面として知覚し、背景の壁と同一平面状に認識してしまう。しかし、この箱において奥行きは排除されるが、上下の箱は斜めから見ることができるために、三次元の立方体として存在し続けている。二つの次元はこのとき認識の二重性によって揺らぎをもたらしているのだ。

「壁がスタックを突き抜けること、それがすべてだ」
(1971年、ジョン・コプランによるインタヴュー)

ジャッドは奥行きがどのように発生しているのかを、このスタックによって実験した。その際に、箱の大きさ、箱どうしの間隔、箱に塗られた色など、いくつ物ヴァリエーションを試みている。それらはみな絵画に基づいている。晩年に彼が版画で試していたのは、二つの色が組み合わさることでどのように奥行きが発生するのか、ということだったようだ。ジャッドの最終的な課題は、この色彩の問題に極言されていたのかもしれない。

「平面状にあるものは、どんなものでもその背後に空間を持っている。同一平面状にある二つの色彩は常に違う奥行きの中に位置づけられる。一色に塗られた平面であっても、特に油彩の場合には、前面やほとんどの部分に塗られた色は平面であると同時に無限の空間になる」(「スペシフィック・オブジェクツ」)
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by jaro050 | 2004-10-29 02:58 | 美術寸評
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