情(アフェクト)と動物

自分の動物は自分にとって情なのだと、誰もが思っている。おそらく、自分が愛されていると信じるのは気持のいい――必要な?――ことだろう。
けれどもちょっと考えてみれば、あなたがそれ自体として、あなた自身ゆえに愛されているのではないことがわかるはずだ。

動物において情の対象になっているのは、
あなたの立場なのであって、
あなたのプシュケ(心・魂)ではない。

ロラン・バルト「1979年2月10日の講義」より




言いえて妙ですが、バルトはその後「情的なものと愛情深いものを区別すること」と言っています。動物への愛情ではなく、動物に備わった情それ自体としての、という意味で。
立場への情かもしれない、ただ、それでも人は動物と共に生きている。
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# by jaro050 | 2007-03-06 00:17

フェイク

リビングデッドは腐肉を撒き散らしている。
そして不穏だ。
生前の形状は残しながら、だがももうその再生は叶わない。
リビングデッドを「生かしている」ものとは何か?

写真は必ず後ろ向きの指向性を持っている。だがその指向性は、表象されている対象であることに注意しなければならない。写真は死である、もしくはよく叫ばれる「写真の死」というのはナンセンスだ。写真はもうとっくに死んでいる。だが指差しているその写真はいまだそこにあり、リビングデッドとして巷を徘徊している。
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# by jaro050 | 2007-02-24 22:20

気概です。

やはりプロってのは違うのです。会ったときはいいたい放題言ったりいい加減だとしても、その後にやりとりする作業は素早くて質の高いものを返してくる。そして対応が謙虚。この人こんな人だったっけ?と思うくらい丁寧で、きっちり仕事とは分けているのが分かる。そこら辺、連絡の遅い学生などとは大違いだ。…というのは諸所で聞く話。

判断力と下準備がものをいう。「決断は2分で決めろ」なんてある啓発本には書いてあったりするが、実はプロは1分で決める。直観の部分は大きいんだろうけど、そんな観念的な直観などではなく、やはり準備と経験に裏打ちされた直観なのだと思う。地道な努力の積み重ねですな…言うは安し、行うは難し。

どうもこんなこと書くより、動くしかないようです。いやはや精進精進。
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# by jaro050 | 2006-12-17 17:56 | 雑記

アイドル?

僕がやっているレクチャーイベントの、次回講座に使う資料を集めていたときのこと。それはアイドルをテーマにした一風変わったレクチャーなのだけれど、70~80年代のアイドル画像を総ざらいしていると吉永小百合が引っかかってきた。彼女は基本的に映画女優と言われている。そもそも59年に14歳で映画デビューして、十年間に80本近い映画に出ているわけだから(60年代だけで彼女の総出演数の7割以上を占めている)、「60年代に活躍した映画女優」と言った方がいいのかもしれない。

最近はシャープのCMにも登場していて、そのことに「シャープは小百合をおとしめた」などと言う人も少なからずいるが(直接批判の場に立ち会ったこともあるけれど)、僕はそんなことにあまり興味がない。生涯映画女優だという気概は、別にテレビに映っちゃいけないというわけじゃない。宣言後にNHKの番組にだって出ているし、今更シャープのCMに出ようが出まいが関係ないのだ。

じゃあアイドルなのか?と言えば、「サユリスト」なる言葉も残っているくらいなので、初期アイドルにくくれるといえばくくれる。実を言うとアイドルなるものに感情移入したことがない性分なので、その求心力にいささか疑問を感じたりもする。僕が子供の頃、アイドルは歌を歌うのがすでに基本となっていたけれど、大方は音痴で、服装は奇抜、かつ夢見がちで、そんな姿に嫌悪したこともあった。そういう意味ならまだ吉永小百合はいい。だって歌を歌わなかったから。
とどのつまりは、僕はアイドルというより、バブリーな80年代が嫌いなのだ。
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# by jaro050 | 2006-12-16 05:06 | 雑記

ブラームス

ブラームスのピアノ五重奏を大音量で聴く。音楽に明るくない身で言うのもなんだが、室内楽曲は性にあっている。居た堪れない気持ちになるときは特にそう思う。僕の持っているブラームスはグレン・グールドのもの。ブラームスと一緒に、グールドにしては稀なシューマンも入っていた。話によるとグールドのシューマンはこの録音以外ほとんど存在しないのだという。だが僕はシューマンを聴き比べたことがないので、グールドの特異性がイマイチ分からない。
でもこのアルバムは好きだ。

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# by jaro050 | 2006-11-28 09:13