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情(アフェクト)と動物

自分の動物は自分にとって情なのだと、誰もが思っている。おそらく、自分が愛されていると信じるのは気持のいい――必要な?――ことだろう。
けれどもちょっと考えてみれば、あなたがそれ自体として、あなた自身ゆえに愛されているのではないことがわかるはずだ。

動物において情の対象になっているのは、
あなたの立場なのであって、
あなたのプシュケ(心・魂)ではない。

ロラン・バルト「1979年2月10日の講義」より




言いえて妙ですが、バルトはその後「情的なものと愛情深いものを区別すること」と言っています。動物への愛情ではなく、動物に備わった情それ自体としての、という意味で。
立場への情かもしれない、ただ、それでも人は動物と共に生きている。
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by jaro050 | 2007-03-06 00:17

フェイク

リビングデッドは腐肉を撒き散らしている。
そして不穏だ。
生前の形状は残しながら、だがももうその再生は叶わない。
リビングデッドを「生かしている」ものとは何か?

写真は必ず後ろ向きの指向性を持っている。だがその指向性は、表象されている対象であることに注意しなければならない。写真は死である、もしくはよく叫ばれる「写真の死」というのはナンセンスだ。写真はもうとっくに死んでいる。だが指差しているその写真はいまだそこにあり、リビングデッドとして巷を徘徊している。
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by jaro050 | 2007-02-24 22:20

ブラームス

ブラームスのピアノ五重奏を大音量で聴く。音楽に明るくない身で言うのもなんだが、室内楽曲は性にあっている。居た堪れない気持ちになるときは特にそう思う。僕の持っているブラームスはグレン・グールドのもの。ブラームスと一緒に、グールドにしては稀なシューマンも入っていた。話によるとグールドのシューマンはこの録音以外ほとんど存在しないのだという。だが僕はシューマンを聴き比べたことがないので、グールドの特異性がイマイチ分からない。
でもこのアルバムは好きだ。

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by jaro050 | 2006-11-28 09:13

嫌いになることと「幕末」のつぼ

「私のこと嫌いにならないでね」
この言葉を女の子から、特に十代の子からよく耳にする。
自分が好きであること以上に、相手が自分を好いてくれること以上に、
嫌われるということの恐怖にみな怯えているようだ。

自分の手から逃れていく孤独感、
去っていくのではという猜疑心、
去られる自分への嫌悪感。


それとは別に、「幕末」マニアが女の子の中に結構いることに気がついた。
知り合いに一人いるのだが、その子が特別なんだとばかり思っていた。
だが、ある筋によると、「基本中の基本」らしい。そうなのか・・・。

総合すると、ストイックに何かを守りとおし全うするというスタイル、
決して離れないという理想に少女たちははまる、のか?
それとたぶんギムナジウムのような環境による同性愛的な、あれ。
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by jaro050 | 2006-08-30 01:08

日本語のテスト

最近いろんな番組で日本語の基礎知識をネタにしたものが流行っているけど、ATOKではその類のテストができます。

http://www.atok.com/nihongotest/index.html

みなさんもテストしてみてください。
ちなみに僕は・・・74点でした。びみょ~。
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by jaro050 | 2006-02-06 02:21

クリティシズム覚書

 批評という語は文学の領域から盛んに議論され、「形式主義批評」「マルクス主義批評」「クイア批評」「ニュー・クリティシズム」など、多くの細分化が進んでいる。だが、それらを論じている人の中には「評論家」と名乗る人たちがいる。一方で「批評家」と自ら公言している人は、実はそれほど多くない。これは一体どういうことだろうか。「批評」についての議論にくらべて、「評論」自体を扱うことのなんと少ないことか。確かに批評の性質を問う「批評性」という語はあるにしても、評論の性質を問う「評論性」なんて語は聞いたことがない。一般に言う評論家たちは、自分の肩書きである「評論」についてどのように考えているのだろうか。批評と評論の違いはなにか。さらに「批判」との違いは?

 隣接する類義語、対義語。曖昧にされたそれらの語を並べること。そうすることで、何か見えてくるものがあるかもしれない。この記事では、上記の語に関わる言葉を見つけ次第、この場に追加していこうと思う。

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by jaro050 | 2006-01-28 16:38

もすかう

マイヤヒー(実際はオゾンのDRAGOSTEA DIN TEI「菩提樹の下で」)につづく歌が話題とかいうので見てみると、「もすかう」というやつらしい。

いざFlashで聴いてみると、・・・あれ?こいつらジンギスカンじゃねぇか!というのでびっくり。彼らのベスト版「ベスト・オブ・ジンギスカン」にも入っている「めざせモスクワ」でした。フラッシュ画像はもうひとつというところ。

http://www.geocities.jp/swf774/mosuka.html
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by jaro050 | 2005-11-20 00:22

買うか迷う一冊。

さいきん書店で立ち止まってしまう本がある。
「きょうの猫村さん」。
ホシイ!
この微妙な描写のネコ、好きです。

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でも値段1200円を見て迷う。
む~猫村さん高いよ~。

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結局まだ買ってません。だれかジャッジしてくれ!
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by jaro050 | 2005-10-18 18:56

ベイコン/ピカソ

知人に「Bacon Picasso」の小冊子をもらった。
今年3月から5月末までピカソ美術館で開かれていた展覧会だ。

この冊子は「Reunion des Musees Nationaux」から出ているもので、
運営館の展覧会を紹介しているのだそう。

この機関、パリにあるいくつか複数の美術館が共同運営している出版団体で、運営館の展覧会カタログは皆ここからでている。
そういう仕組みは、美術館が多いフランスならではだと思う。

b0041761_136202.jpgベイコンとピカソを比較したこの展覧会は、今まで指摘されながらも特に採り上げられてこなかった二人の画家を、本格的に検証したものだ。

正式な展覧会カタログは、残念ながらまだ手に入れていない。
採算ベースに合わないためにアマゾンなどでは手に入らないのだ。

もう会期が終了してかなり経つ。
おそらく本国にも在庫はほとんどないだろう。

なんとしても手に入れたい一冊だ。
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by jaro050 | 2005-10-14 01:35

美の戦士たち


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『美の戦士たち』は映画作家ピエール・クーリブフによるアーティストとのコラボレーション作品三部作のうちの第二作。横浜美術館でおこなわれていた「イメージフォーラムフェスティバル2005」にて初めて鑑賞しました。初ヤン・ファーブルです。

雑誌などで見ていたファーブル像は「昆虫マニア」だったけど、彼の「コレオグラファー(振付師)」という肩書きの意味がようやくわかった感じ。舞台はモダンで質素な修道院のような場所。そこで繰り広げられる人々のシュールな出来事(アクシデント)が展開する。盲目の老人(フォーサイス)、ウェディング・ドレスを着た女性(エルス・ドルスークリア)、甲冑姿で剣を振り回す戦士、甲虫を口に入れた女性、肩に梟を乗せた男性(ヤン・ファーブル)、裸でもだえ踊る男女たち。これはいったい・・・。

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クーリブフはこの三部作でアーティストのフィルム・ポートレイトをつくっているという。ならば、これは原案を書いたヤン・ファーブルのポートレイトなのか。ファーブルは曽祖父のアンリ・ファーブルの「青の時間」という言葉を引き合いに出して、二つの領域にまたがる境目を常々重視していた。それは夜行性の昆虫が眠りに就き、昼間に活動する虫たちが目覚める、曙(あけぼの)の時――まさに生と死が交錯する領域。それがこの作品の舞台なんだろうか。まさに野獣とでも呼ぶべき動物化したダンサーたちはこの場で生まれ、活動し、そして痙攣して死んでいく。その生死のサイクルがまどろみの中で明滅する…(肩に梟を乗せたファーブルは睡眠薬を服用し、まさに「まどろみ」の中にいる)。

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アーチを手探りで潜り抜ける老人は数字を数え(それはドイツ語のようだ)、刹那「私は預言者だ」と機敏に踊る。盲人はドン・キホーテか、さては美の伝道師か。さて・・・。
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by jaro050 | 2005-08-02 03:40