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『国宝 紅白梅図屏風』の技術

今日仕事中に、トーハン週報の少し前の号を処理しようと思ってぱらぱらとめくっていると、『国宝 紅白梅図屏風』の画集が中央公論美術出版から刊行されたという記事を発見。25000円と高価ですが、なかなか力が入っているようで見出しになってました。

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あーそういえば出るとか言ってたなー、と内容を読んでみると、「8800万画素の最新デジタル撮影」と書いてありました。8800万!?ちょっと大きすぎやしないか?デジタル撮影の技術って今どこまでが限界なんだろー、とふと疑問に思った。

あとで確認してみると、どうやら誤植のよう。2200万画素なんだそうです。でもこんどはその数字がすごいのかどうかが疑わしくなってきた。普通のカラー写真の場合、画素数に換算すると2400万画素っていう話を聞いたことがある。え?じゃあ銀塩のほうがいいんじゃないの?

そう簡単には言えないんだろうが、単純に数字だけ見ると銀塩が勝っているように思える。どうなんだろう。というわけで他の要素も見てみることに。


本書の特色
1.最新高精細デジタル撮影によるオールカラー写真集
2200万画素のデジタルカメラを使い紅白梅図屏風を分割撮影。
1cm角のものを1mにまで引き延ばされる精密さで、表面の粒子の様子まで分かる超拡大図を300線という従来の線数(175線)の約2倍の高精細印刷により再現。
国宝紅白梅図が手に取るように眼前に現れます。


…どちらかというと印刷技術の方が重要な気がしてくる。よくあることだけど、性能のいいパソコンでいい画像を処理しても、プリンタが悪けりゃ元も子もない。というわけでこの本は印刷に注目する、つまり本そのものを楽しんでください、が正解なんでしょうね。
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by jaro050 | 2005-06-15 02:32

「黄昏の東京」

年明け頃にやっていた瀧口修造展が話題になった世田谷美術館、その次に開かれた「ウナセラ・ディ・トーキョー」(「黄昏の東京」のイタリア語訳、ザ・ピーナッツの名曲)も僕のまわりでは評判で、再び足を運んでみました。

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この展覧会は前回の瀧口展が結構予算をかけたものだったので、東京という都市を写した(構成上東京23区に限定しているという)写真コレクションを上手に組み合わせて構成された収蔵品展。

たしかに展覧会低予算でどれほどのことができるのか、と学芸員たちが試行錯誤をしている痕がいろいろな局面で見え隠れしているけれど、僕はなんだか「東京の思い出」自体ほとんどなく、郷愁の固定観念だけが増幅された感じ。隣で年老いた爺さんたちが「おぅおぅこれあったなぁ。今は~になってるんだよな。」とか懐かしそうに語っていましたが、僕には全くピンと来ない話。会場に流れていた懐メロも同様でした。

たぶん僕にとってそれらの写真は20年代のパリ風景の写真と同じくらい異質で、感情移入することのできない異国を思わせるからなんだろう。そもそも僕が都市型の気質を持っていないからなのかもしれない。

今都市論がブームになっているのかどうかは知らないけれど、そもそも都市に対して強烈なイメージや記憶を持つ人たちがその魅力を感じているように思う。僕は東京から少し北側にある郊外で20年過ごし、残りを東京西側の郊外で過ごした。いわば周縁をぐるりと回って生きてきた外部の人間だった。なんだか都心には「必要なものを取りに行く」感覚で、用件が済めばさっさと帰宅していたから、ほとんど東京23区は僕にとって「コンビニ」だったんだろう。

作品とタイトルとを照らし合わせてみると、歩を進めるように各地域が地理的に配置されている。つまり東京ウォーキングマップの意味もあるわけだ。だったらなおのこと東京を歩いてから、もう一度この展覧会を見てみたいと思う。
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by jaro050 | 2005-05-21 23:05

カリブのオレンジ

以下の四つの写真、どのような構造になっているからわかります?

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四つの角度から写真を撮っています。部屋の内部を、柱などの基礎部分は残して切断しています。

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by jaro050 | 2005-05-14 22:18

怪獣使いと少年

幼い頃、私はウルトラマンの再放送を見たいがために毎週朝5時に起きてテレビにかじりついていた時期があった。ハマると生活をそれ一色にしてしまう癖が昔からあったけれど、ウルトラマンはこの癖がついたきっかけだったように思う。

「帰ってきたウルトラマン」、私が最初に見たウルトラマンは、初代ではなく、セブンでもなく、「帰マン」だった。再来した怪獣ブームを期に制作された第二期ウルトラマンシリーズの最初の作品だったが、物語は第一期に比べて人間がテーマとなっていて、制作当時のリアルな状況を少なからず反映していたようだ。

工場建設が進む時代に「自然の怒り」の象徴として登場する怪獣たち。ウルトラ警備隊、通称「MAT」は国連の一組織で、日本支部のメンバーの多くは旧日本軍の軍人たちという設定。今ならそれだけでもかなり問題になるだろう。実際MATは日本政府からその存在を疑問視され、怪獣退治に失敗するたびに「解散」をほのめかされていた。(この作品が制作されたのは1971年。学生闘争が収束していく過程であることは今では印象的に映る)

もちろん私はそんなことは気にもとめないで、ただ怪獣とウルトラマンの戦いをまるで水戸黄門の印籠のように待ち望んでいたのだが。

最近この「帰ってきたウルトラマン」、特に「怪獣使いと少年」という話が私の周りで話題に上って、懐かしさからDVDを借りて見てみることにした。過去の思い出とは裏腹に、こんなにエグイ表現もするのか、と驚いてしまった。それはこの第33話がとりわけ問題作だったからかもしれない。俗に「11月の傑作群」と呼ばれる31話から34話までの4話は、ストーリー、映像ともに「ウルトラ」のファンたちに注目されていたらしい。

ではなぜ問題作とされたのか。それは被差別部落や身障者を迫害してしまう人間模様を、宇宙人や怪獣といった「部外者」にからめて物語を作り上げているからだ。



この「怪獣使いと少年」の話をおって説明していこう。

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「怪獣使いと少年」のあらすじ
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by jaro050 | 2005-05-08 14:40

中間管理職の海神

机に向かって計算をしている人物が一人。
彼はそれほどむいているとも思われないこの仕事を
これまで勤勉に続けてきた。
他の仕事も探してはみたけれど、
今の職務以上の魅力を感じることはなかったので、
とりたてて転職する気もないようだ。

席を立つときといえば、
オリンポス山の本社にいる上司ジュピターのところへ、
仕事の報告をしに行くときぐらいだ。
だが困ったことにこの上司の小言が我慢ならない。
帰り道はきまって虫の居所が悪い。

とまあこんな調子なので、
自分の営業所の視察などしたことがない。
社員も自分たちのボスがめったに顔を出さないために
勝手なイメージを作り上げて噂をする始末。

彼は視察を定年するときまでとっておくとか。
そのときはこの営業所も整理の対象になっているし、
社員のいなくなった営業所はさぞ静かであろう、と――


カフカの寓話「ポセイドン」はこんなお話です。
終末論的な上司とは一緒に仕事をするのもいやだなぁ

今日は私がバイトをしている出版部の
定年歓送会がありました。
今年辞められる部長は、このポセイドンとは違って
少々ぶっきら棒な立ち振る舞いでしたが、
気さくで話しやすい方でした。
お疲れ様です。
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by jaro050 | 2005-03-16 22:38

歯痛的経済水域

人間は歯を磨いたために歯を悪くした、
と逆説を述べたのは丸山圭三郎だったが、
とはいえ不摂生は万障の素。

先日歯医者にいくと、
しばらく通わなければならないことがわかった。

丸眼鏡の気さくな院長らしき人物が、
ガリガリと手早く私の歯を削った。

たいして痛いわけではなかったが、
しばらくすると麻酔をかけた部分が
炎症を起こしているらしく、
脈打つように痛み出した。

ああ痛い。かみ締めると痛い。したがって食事がまずい。

こうなったら、歯痛によってなにか良いことはないか?
と考えて気を紛らわすことにした。

○まず食欲が減るので食べすぎを抑えることができる。
○痛みによって毎食ごとに歯を磨く習慣がつく。
○「自業自得」を戒める痛みが毎度実感できる。
○かみ締めることで眠気を抑えることができる。
○痛みによる快楽(?)を得ることができる。
○脈打つ痛みが血液循環を意識させ、
  生きていることを実感できる。

・・・ふう。これくらい挙げておけばいいか。
やれやれ。
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by jaro050 | 2005-03-15 23:09

バベルの図書館

(他の者たちは図書館と呼んでいるが)宇宙は、真ん中に大きな換気孔があり、きわめて低い手すりで囲まれた、不定数の、おそらく無限数の六角形の回廊で成り立っている。

 ホルヘ・ルイス・ボルヘス『バベルの図書館』


 バベルの図書館には出口がない。無限の階を持った図書館で、その内部にはどこからやってきたのか、いや、どこから生まれたのかさえ定かでない司書官たちが、六角の各壁に備え付けられた書棚の本を果てしなく調べ続けている。

 図書館の構造は、ボルヘスによると「その厳密な中心が任意の六角形であり、その円周は到達の不可能な球体である」という。「五つの書棚が六角の各壁に振り当てられ、書棚の一つ一つに同じ体裁の三十二冊の本がおさまっている。それぞれの本は四百十ページからなる。各ページは四十行、各行は約八十の黒い活字からなる」。こう説明されても想像をめぐらせることすら難しいのであるが、ボルヘスのこの短編を元にしてバベルの図書館を再現した人物に意見を請うことにしよう。異教の書とされるアリストテレスの『詩学』第二巻、「笑いについて」が収められている書庫として、バベルの図書館は再現された。あのウンベルト・エーコの『薔薇の名前』である。
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by jaro050 | 2005-01-15 00:30

歴史と批評の関係

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ドミニク・ラカプラ『歴史と批評』を再読した。およそ3年ぶりぐらいでしょうか。最初に読んだときはレポートのためだったが、結局使わずに放置されたのでした。今読み返すと、歴史学の外部から見えてきたものがラカプラの視点と重なって共感(もしくは疑問)を得る部分がけっこうあった。

今回読むきっかけとなったものが「ナラトロジー」、つまり物語論に関する興味からだったが、登場する歴史家や用語に最初に読んだ頃考えていたことを思い返して懐かしさを覚えた。「でた~『モンタイユー村』!!なっつかし~」とか、かなり脱線気味。

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by jaro050 | 2005-01-04 01:30

賀正

あけましておめでとうございます。
今年は酉年ですね。
というわけでマックス・エルンストの鳥人間を載せてみました。
鳥はエルンストにとって最も重要な主題でした。
エルンストは自作の年賦に次のように幼い頃の体験を記しています。

親友の一人であり、とても頭がよくて優しい桃色インコが、一月五日の夜に死んだ。朝、その死骸を発見したとき、ちょうど父親が、娘のロニの誕生したことを知らせてきたので、マックスはおそろしいショックを受けた。少年の惑乱はすこぶる大きく、気絶してしまったほどだった。想像の中で二つの出来事が結びつき、鳥の生命は赤ん坊にうばわれたかのように思えたのである。謎めいた熱狂、ヒステリーの発作、昂奮と銷沈がひとしきり続いた。鳥と人間との危うい混同が心の中に形成され、デッサンや絵の中にもあらわれるようになった


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今朝テレビでやっていた、星座と干支と血液型の総合占いによると、私は今年576中567番という運勢でした。まいったねこりゃ。
では今年もよろしくお願いします。
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by jaro050 | 2005-01-01 19:04