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アジアのキュビスム展

会場を後に第一声、タイトルの強制力のすごさを実感した展覧会だった。

この展覧会に赴いた人の誰もが抱くように、「アジアにキュビスムなんてあるのか」という疑問は御多分にもれずあった。昨年2月に開かれた非公開国際シンポジウムに参加したこともあって、「アジアのキュビスム」展出展作品は開催以前からいくつか見ていたし、その経験から「展覧会ではキュビスムのことは一切抜きで作品を見よう」と心に決めていた。にも拘らず、不思議と各作品にキュビスムの跡をたどっている自分に何度も遭遇することになってしまった。おそらくキュビスムの痕跡は少なからずあるにせよ、それを除いても作品個々で固有の面白さを持っているはずなのだが、一度こびりついたイメージは拭いがたく、その執拗につきまとう様はイメージ・コロニアリズム(植民地主義)を思わせた。ヨーゼフ・ボイス、ドナルド・ジャッドしかり、作家の多くがスクール(流派)に属したがらないという意味を改めて実感した、といったところか。

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by jaro050 | 2005-08-26 05:26 | 展覧会報

マシューズ・ベスト・ストレイン・ドローイング(1)

マシュー・バーニーは90年代におけるもっとも重要なアーティストの一人として、各メディアで頻繁に取り上げられた。特に日本では美術関係だけでなく様々なジャンルで(映画を中心とした雑誌類が主だが)バーニーの名が挙がる。確かにバーニーの作品はイメージの衝撃度、ハイ・クオリティ、センスともにマスメディアに適した要素を十分に持っている。加えて彼の多彩な経歴(医学部卒、フットボール特待生、ファッションモデル等)もメディアに都合のよい側面だ。いかがわしくも難解な現代美術の領域から、領域横断的なスターが、「20世紀最後の」スターが誕生した、と。

b0041761_234327.jpgとはいえ半ば採り上げられすぎた感もある。いくらマルチタレントぶりを発揮しているからといって、日本のバーニーへの関心は他国に比べて大変強い。では今一度問うてみよう。マシュー・バーニーは華々しくも深淵な映像を作り出すが、それは一体なんだったのか?この問いに多くのライターは次のように答える。「失われた身体の回復」「ハイブリディティ」「アスリート・アート」「新たなる物語神話」…。バーニーの20年間の活動において、ようやく論客も議論の矛先をいくつかのタームに限定することができるようになってきたといった様相だ。ところでこうしたタームは、「アスリート・アート」を除いてどれもが「シュルレアリスム的」である。美術の領域において身体の変容や異様さを採り上げたものを想起するならば、まず最初に挙がるのがこの運動。表現主義に次いで日本人が大好きな分野である。断言しても良いが、日本人にとって、マシュー・バーニーはいわば「ヌーボー(新)・シュルレアリスム」として受容されたのである。それは論客の多くに精神分析医が関わっていることもこれを裏付けている。
(つづく)
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by jaro050 | 2005-08-26 02:26 | 美術寸評

ハガレン

かなり遅れてだけど、「ハガレン」こと『鋼の錬金術師』のアニメ版を全話見ました。ガンガンの領域にはなるべく関わらないようにしていたんですが(昔からちょっと抵抗あったんで…)、なんでも荒俣宏が評価しているらしく、バンダイチャンネルでネット配信もされているとのことで、51話視聴に挑戦。

アニメ版は原作とかなり構成が違うとのことだけど、やっぱりアニメから見る、という仕方が経験上好印象を受けることが多いですね。正直51話見てかなり面白かった。アクションもスムーズでいいし、物語もちゃんと作りこまれている点でアニメにしては完成度が高い。まぁ確かに疑問点はいくつかあるんだけど。

「等価交換」は錬金術の大原則として設定されているけど、これってどの「価値判断」で等価物とみなされるんだろう?さらにその価値は誰が決める?その疑問に至らなかった点が少々甘いんじゃないかと。一般的に言って「等価交換」は科学じゃない。経済だ。誰かと誰かの二人の関係が「価値」になる。ということは、やっぱり合意に至る相手がいると考えなきゃならない。それが「神」か「悪魔」かはここでは問題じゃない。原作の方はまだ読んでいないけど、その辺を描いてくれていればいいな、と思う。

キャラとして良いなぁ、と思ったのはやっぱりタッカーかな。どうやら原作じゃアレにならないそうじゃないですか。アレはなかなか発想できないよね。そしてあのささやき声、リアルだねぇ。
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by jaro050 | 2005-08-16 00:38 | 雑記

いざ金沢

ちょっと目まいが思想です。歯槽です。いやいや「しそう」です。
夏の間を利用して金沢へ行こうと計画していたものの、「高い」「遠い」「時間がない」の三拍子。。。

つまり、いざ電車で行こうとすると3万近く費やしてしまうし、安上がりに「青春18きっぷ」で行ってしまえとも思うが(勘違いしている人も多いかもしれないが、この割引券には年齢制限がナイ!)、鈍行しか使えないので時間がかかる。

計算してみるとなんと所要時間12時間半!アリエナイ…。

しかもお目当てのマシュー・バーニーの『拘束のドローイング』展は25日で終わってしまうし、休みはずらせないし。

と『拘束』に「拘束」されてます。でもバーニーはなんだかんだ言って全て見逃しているんです。いいかげん見ないとまずいかも。

気になるのは、今回の作品が捕鯨船と茶室が舞台ということ。
そんな政治的テーマに介入して大丈夫かいバーニー?
ビョークも参加しているぞ、というのはどうでもいいんだけど。

というわけで過密スケジュールを組んで再来週行ってきます。なんでも中沢新一御一行様もいらしているとのコトですしね。

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by jaro050 | 2005-08-14 03:40 | 雑記

美の戦士たち


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『美の戦士たち』は映画作家ピエール・クーリブフによるアーティストとのコラボレーション作品三部作のうちの第二作。横浜美術館でおこなわれていた「イメージフォーラムフェスティバル2005」にて初めて鑑賞しました。初ヤン・ファーブルです。

雑誌などで見ていたファーブル像は「昆虫マニア」だったけど、彼の「コレオグラファー(振付師)」という肩書きの意味がようやくわかった感じ。舞台はモダンで質素な修道院のような場所。そこで繰り広げられる人々のシュールな出来事(アクシデント)が展開する。盲目の老人(フォーサイス)、ウェディング・ドレスを着た女性(エルス・ドルスークリア)、甲冑姿で剣を振り回す戦士、甲虫を口に入れた女性、肩に梟を乗せた男性(ヤン・ファーブル)、裸でもだえ踊る男女たち。これはいったい・・・。

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クーリブフはこの三部作でアーティストのフィルム・ポートレイトをつくっているという。ならば、これは原案を書いたヤン・ファーブルのポートレイトなのか。ファーブルは曽祖父のアンリ・ファーブルの「青の時間」という言葉を引き合いに出して、二つの領域にまたがる境目を常々重視していた。それは夜行性の昆虫が眠りに就き、昼間に活動する虫たちが目覚める、曙(あけぼの)の時――まさに生と死が交錯する領域。それがこの作品の舞台なんだろうか。まさに野獣とでも呼ぶべき動物化したダンサーたちはこの場で生まれ、活動し、そして痙攣して死んでいく。その生死のサイクルがまどろみの中で明滅する…(肩に梟を乗せたファーブルは睡眠薬を服用し、まさに「まどろみ」の中にいる)。

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アーチを手探りで潜り抜ける老人は数字を数え(それはドイツ語のようだ)、刹那「私は預言者だ」と機敏に踊る。盲人はドン・キホーテか、さては美の伝道師か。さて・・・。
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by jaro050 | 2005-08-02 03:40