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言葉の綾

「あの絵について、幾人かの通人があれこれ談論風発するなかで、私は思案投げ首、姑息な所思すら考え付かず、ただただ切歯扼腕の思いでした――」

こんな文章誰も書かないし、用法があっているのかも定かじゃないけれど、知り合いが使っていた用語を組み合わせて作ってみました。

そういえば少し前に筑紫哲也が最近の言葉使いについて、用法を間違えて使っているというのはまだまだ良いほうで、その言葉自体を知らない人が増えているということのほうが問題ではないか、と言ってました。

知らない、ということが罪である時代は随分前に廃れてしまった観がある。一般的に必読書というものがあって、それを読んでいない人は白い目で見られるというような風潮は、今ほとんどない。

とはいえ、知りたいという欲求自体はまだまだ衰えていないように思う。ただ、手っ取り早く知りたいという考えに代わっているのだけど。上の慣用句も、グーグルで検索すればすぐ出てくるし、あらすじ本や要約本がベストセラーになるこの時代、知りたいものはなんでもすぐ手に入るのだ。

しかし、なんだか身についていない。たとえばあるレポートをネット検索で引っかかった文章のつぎはぎでまとめても、ぜんぜんその内容を説明できないことがよくある。

卑近な例でいくつもバリエーションを提示できてこそ理解したといえるのであって、コピー&ペーストは思考そのものが停止してしまっている。上で作った文章も、単なるつぎはぎでしかなく、普段使えるようになるまでにはかなりの訓練が必要だろう。

ただし、文章特有の言葉を会話に持ち込むのは、ちょっと無理があるんじゃないか、とも思うけど。
by jaro050 | 2004-11-30 22:13 | 雑記
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