「絵画の復権」を警戒せよ。こんなフレーズが今や常態化しつつあるのは、80年代に登場した「ニュー・ペインティング」に対する反省なんだろうか。確かにこの潮流の立役者の一人、デイヴィット・サーレの作品価格が暴落しているなんて記事を読んだことがあるし、トランス・アヴァンギャルディアの3Cは今何してるの?とも思うわけで、恐慌を経験すれば「復権」を疑うのも無理はない。そんなキーワードが90年代末に再び現れたときに、名前が挙がった作家が数名いる。今年6月まで開かれていたロンドンのサーチ・ギャラリー20周年展を下地にすれば、それはピーター・ドイグ(Peter Doig)、マルレーネ・デュマス(Marlene Dumas)、ルック・トゥイマンス(Luc Tuymans)、ヨルグ・インメンドルフ(Jorg Immendorf)ということになるだろう。
「The Triumph of Painting(絵画の勝利)」というこの展覧会のタイトルはまさしく問題含みである。サーチといえばもちろんYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)の収集で一躍テイトに対抗するコレクターとして名を上げたのだが、その固定観念を打ち破るように、「いまさら」と思わせる絵画に勝ち鬨をあげたのである。案の定デイリー・テレグラフ、ガーディアン等イギリス各紙から揶揄されるに至っているが、それにも拘らずこのサーチの自信に満ちた態度は、一体何を示すのだろうか。 彼らは脇目も振らずに絵画を描き続ける。しかもあくまで表層的に。たっぷりと水分を含ませて、支持体にのせ、延ばし、まぜる。いわゆる「おつゆ描き」というやつだ。ともすれば水墨画と勘違いしてしまうほどに、彼らは水彩的要素を多用する(その極地はデュマスだろう)。ただ、それが新しいというわけではない。かなりの昔からタシスムというジャンルがあったように、この技法を用いた作家は山といる。90年代末の作家たちに特徴的なのは、どれもが写真的イメージを土台としているということだ。ぼかし、にじみというものが前面に出ているのに、どこかで見たようなフレーミング、どこかで見たようなクローズ・アップなのである。 ところで、90年代末の絵画傾向と一概に言えないとしても、そのうちの一つとして挙げられるに違いないこの写真イメージの流入は、無反省に、非意識的に(無意識ではない)生み出されているのだろうか?写真は「視覚に君臨し、かくて絵画にも君臨すると強く主張するがゆえに危険なのである」と言ったのはドゥルーズだったが、確かに彼らの絵画にその危険がないわけではない。例えばエリザベス・ペイトン(Elizabeth Peyton)。彼女の絵画はどれも自分の好きなモデルや俳優のワンショットから採られている。彼女の羨望はまさに写真によって圧縮され、それが彼女の視覚に君臨していると言えるだろう。ではドゥルーズが危惧した事態の真っ只中にいるのだろうか?それにしてはあまりにもこの「写真イメージ」の横行甚だしい様に感じられて、もしかしたら問題はドゥルーズが言ったこととは別のところにあるのではないか、とすら思えてくる。「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」のだとしても、私は「語りえぬ」ほどまでに明晰な限界を設定できていないだけなのかもしれない。沈黙するには、まだ早すぎる。 〔画像は上から順にドイグ(2点)、デュマス(2点)、トゥイマンス、ペイトン〕
by jaro050
| 2005-09-06 22:58
| 美術寸評
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ジャロ 20代も半ばにさしかかる鼻メガネ。 もはやメガネにアイデンティティを奪われる日も近い。 カテゴリ
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