結局、初見の者には関係のない話だ。それが金箔だろうが、金泥だろうが、雅な屏風であることに変わりはない。ところがこの屏風に使用された金箔が実は金箔ではなかったかもしれない、という疑義が呈されて一年余り、未だにこの論争は続いている。つい最近尾形光琳のもう一つの作品、《燕子花屏風》の調査結果は、この論争の火種を消すどころか油を注いでいるようだ。
争点は金箔部分の金存在量が今の金箔より少なくムラがあること、そして箔と箔の重なりを示す「箔足」部分も金存在量が変わらないことだ。重なっているのだから金の存在量は二倍近くになるはずが、他と変わらない値を示しているという。だがこれを短絡的に「金泥で金箔に擬装した」とも言えない点が多々あることで、関係者の意見は混乱している。ある研究者は、金箔特有の細かなひび割れや斑点の「焼け」を再現することは不可能だというのだ。 《紅白梅図屏風》の金箔論争が持ち上がったことで今回《燕子花屏風》の調査結果が注目されたが、元々この論争とは無関係で進められた調査だけに、科学的なデータ不足のために結論は出ず、再び謎だけが残った――。 ここでおなじみ辻惟雄先生のご登場。「《風神雷神図屏風》の金地の印象は《紅白梅図屏風》に近い。三つを比較すれば何かが分かるはずだ」。ごもっともなご意見で。たしかに《風神雷神図屏風》は《紅白梅図屏風》の構図に影響を与えているし、二曲一双の形式も同じ。調査の手続きが大変な国宝の《燕子花屏風》をつつくより、こちらの方が何か手がかりがつかめるかもしれない。 さらに氏は持論を持ち出して、「《紅白梅》の金地が金箔でないなら、もっと工芸的な側面から見る必要が出てくる」と述べている。絵画と見るな、工芸と見よ。とはいえ、すでに近代システムとしての美術館に所蔵されている時点で、それはれっきとした「作品」になっている。そこが見る側にとって難しいところだ。 もちろん、どちらに転んでも今そこにある屏風そのものの質が変わることはない。だが歴史学としては、やはり金箔かどうかという点は気になる。金箔ではないとすれば、社会史や技術史の面でも大幅な刷新があることだろう。だから論争になるのだ。この屏風は尾形光琳一人が作ったのではなく、工房のように何人もの徒弟がついて制作されている。もしかしたら、そうとう高度な技術が生み出されていたのかもしれない。いまだ謎として残っているうちは、そう信じていたい。
by jaro050
| 2005-12-14 00:43
| 美術寸評
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ジャロ 20代も半ばにさしかかる鼻メガネ。 もはやメガネにアイデンティティを奪われる日も近い。 カテゴリ
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